灰になった①




先週18日に祖父が亡くなり、急遽19日に実家に帰ってきた。父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、父方の祖母、母方の祖父母は健在。初めて近しい身内の葬儀に参加することになった。

記録と、気持ちの整理のために文章にして残したいと思う。




今年の1月に成人式をした時には祖父は元気で、通院しているわけでもなくいつも通りだった。2月の後半から体調を崩して、3月に入ってから高熱で倒れて入院。骨髄性の白血病と診断されて、余命は持って2年、容態が急変すればいつでも、覚悟してくださいと医者から宣告を受けた。

3月中旬になって実家に帰り、祖父に余命を伝えるのはやめたほうがいいんじゃないか、と話し合いをした。ちらっと医者が祖父に余命の話をしたあと、祖父は高いウイスキーやブランデーを買ったり預金を全部引き出してこいと言ったり、どうせ死ぬんだからと自暴自棄になったので、はっきり余命宣告はせず、医者にも言わないでとお願いした。

その時はまだはっきり喋っていたし、自分で歩いていたし、少し入院すればあと1年ぐらいは持つだろうと思っていた。
3月後半に退院して、祖父の好きなお寿司とケンタッキーとビールで退院祝いをして、入院中に食べたい食べたいと言っていたものを全部食べて、祖父も嬉しそうだった。

しかし退院後、だんだん痴呆が酷くなり、ワガママも酷くなる。停電でショートしたパソコンを中古で買い換えたのが気に入らないと、すぐに最新のパソコンを買ってきて、Windows8の使い方がわからず電気屋の兄ちゃんにキレる。私は沖縄に帰っていて話を聞いただけだったが、いつも通りのじーちゃんだな、ぐらいに思っていた。


4月に入って1週間ほどで高熱で倒れて再入院。この頃には歩けなくなり車椅子で移動。地元の病院は終末期医療には対応してなくて、家族が泊まり込みで看病していた。夜中に何回もトイレに起こされ母は眠れない日が続いていた。祖父は早く家に帰りたいと言うので在宅看護の申請、介護認定の手続き、酸素の設置を進めていた。

そして4月16日、兄が仕事終わりに母と交代で病院に行っていた。祖父の様子を見た兄から早く会いに来た方がいいと言われ、大学の授業が始まっていたが、22日金曜日に帰ることにした。
しかしその翌朝、母からやっぱり今日来れないかと連絡があり、その日の昼に祖父に会いに病院へ。
祖父を見た時、泣きそうになった。もうはっきり喋れず、言葉を聞き取るのも難しい状態で、1人で寝返りをうつこともできない。確実に死に近づいている祖父を見るのが辛かった。
私が来た時には高熱で辛そうで息も荒かったが、何回か座薬をすると帰る頃にはいくらか楽になったようだった。夕方の飛行機で日帰りの予定だったので、祖父の手を握り、また来るねと言って空港へ向かった。

 
4月18日、その日退院予定だったがまた高熱。しかし祖父はずっと家に帰りたいと言っていたので、母もそれを叶えてあげたいと退院。
無事家に帰ったのもつかの間、3時間ほど経つとまた熱にうなされ、本人に病院に行くかと聞くと頷いたので救急車で搬送。意識がなくなり、今夜か明日には、と母から連絡を受けて次の日の昼の飛行機のチケットを取った。
その1時間後に息を引き取ったと連絡を受けた。